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 <北大軽音楽部の練習拠点>




【中央講堂】(左)
大正5年に教養部の中央講堂として、現在のクラーク会館前の位置に建てられた。昭和40年の撤去までサークル用施設として使用された。部屋数は10で、単独入居4サークル、共用が23サークル(昭和38年時点)。軽音楽部の前身「軽音楽同好会」時代は、ここを練習場所として借用した。

【文連会館】(右)
明治35年に農業経済学講堂として建設。後に教養部の第1講堂に用途変更された後、中央講堂の取り壊しに伴って、昭和40年より第1サークル会館となる。公認団体となった軽音楽部は、ここに1室を確保し、練習の拠点とした。 昭和54年4月に、漏電が原因で半焼。8月に解体・撤去された。

   




「ザ・バイカウンツ」こぼれ話

バンド名称の由来
 バンド結成時、ステージ衣装がないため、学生服で演奏していた。他大学のバンドがびしっとスーツなどで決めている中で、北大バンドは「みすぼらしく貧乏くさい」というのが定評だった。それを逆手にとって「身なりは粗末でも、志は高く、心は気高く」をモットーに、「貴族」を名乗ろう、ということになった。しかし公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵の序列のうち、きらびやかなイメージの上位爵位は避け、お金のなさそうな子爵(Viscount)に落ち着いた。

楽器類の調達
 部活動を始めるには、ギターやドラム、ギターアンプを必要としたが、当時は市販される楽器の種類が少なく又高価だったので、多額の資金がかかった。このため、他のバンドから楽器を借りることもあり、又ギターアンプの自作や修理、ギターの改造(ネックを取り代えてベースギターを作るなど)も行った。

活動資金と場所
 楽器やステージ衣装の購入のための資金を賄うため、頻繁にダンスパーティーを開催した。会場は主にクラーク会館の2階ホールだった。ドリンク付きのダンスパーティーも開催した。焼酎ベースのカクテルを部員が作り、販売した。学生軽音楽連盟などの外部団体主催のダンスパーティーにも参加した。会場は中島スポーツセンターや、すすきの中央寺地下ホール(現在の葬儀場)だった。