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ご挨拶



 北大軽音楽部創立50周年メモリアルライブを開催するに当たり、ご挨拶を申し上げます。

 私たちは、1960年代から70年代にかけての10年間ほど、北海道大学に在籍しました。この間、北大軽音楽部傘下の「ザ・バイカウンツ」というロックバンドに所属し、数世代にわたって同じ釜の飯を食った間柄です。学年こそ違え、ロックという音楽ジャンルの中で、自らの技術の向上と協調精神の涵養のため、互いに切磋琢磨し合った、かけがえのない仲間でした。
 多情多感な少年時代を共に過ごした後、私たちは社会に出て、それぞれの道を歩み始めましたが、学生時代に培った音楽へ興味は、決して薄らぐことはありませんでした。

 それからあっという間に歳月が流れ、往時の少年たちも齢60有余を重ねるに至りました。制約の多かった現役時代を終わり、昔の自分に還る自由を得た者が多い反面、依然として社会の第一線で奮闘する者も少なくありません。一方、惜しまれながら早逝した仲間もおります。
そうこうするうちに、宇宙の塵が集まって星を形成するが如く、離れ離れだった私たちも学年の近い者同士が集まり、再び演奏活動を始めました。
 そして、私たちの「揺りかご」=北大軽音楽部が創立50年を経過したことを契機に、この度演奏会を開催することとしたものです。

 あの当時、音楽は「聞く対象」から「演奏する対象」へと大きく変貌しつつありました。50年代のロカビリーからロックに進化する過程で、エレキギターを中心とした小規模編成の演奏形態が出現し、誰でも手軽に演奏活動が出来るようになったのです。思い返せば、厳しい受験勉強からの開放感が、身近に出現したロックミュージックに、私たちを強く誘ったのでしょう。
 バンドの演奏曲目は、当初、今でいうオールディーズから始まり、ベンチャーズなどのインスツルメンタル、更にはビートルズなどいわゆるブリティッシュビートを経て、ロックの母体となったR & B(リズムアンドブルース)に回帰する流れを辿りました。

 さて、私たちの「音楽活動」は決して順風満帆なものではありませんでした。
今では考えられないことですが、当時ロックミュージックに染まることは、「不良」と同義でした。
 家族から「大学に入ってまでそんなことを」と反対され、学友からは「騒音楽部」と揶揄されながらも、自ら演奏し唄って表現する高揚感と充実感に浸ったものです。改めて自分の学生時代を振り返り、学業以外の自己実現対象としてロックミュージックを選んだことに大いに満足し、また誇りに思います。

 今回の演奏会は、学生時代に自分の持てるエネルギーのすべてを、音楽活動に注ぎ込んだ私たちにとって、正しく記念事業的な意味合いを持ちます。
 それと同時に、あの時代に同じ空気を吸っていた同世代の皆様方とお会いし、共に懐かしい時間を過ごす、心躍る空間でもあります。
 更には、世間の基準から「少し」はみ出た私たちを暖かく受け入れ、支えてくれた家族に対し、改めて感謝の気持ちを伝え、あの当時の私たちの活動を追認してもらう、象徴的な機会でもあります。

 今回の演奏会では、皆様方に懐かしい曲目の数々をお楽しみいただけるよう、
メンバー全員日々練習を重ねているところです。
 どうか当日は、お知合いの方々お誘いあわせの上、ご参加・ご声援いただきたく、ここに謹んでご案内申し上げます。

北大軽音楽部創立50周年 メモリアルライブ実行委員会
                     委員長   椎谷 泰世